どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

人生の起承転結は済んだ(結その1)

自殺未遂ならぬ大怪我未遂のあと、目が覚めたらもう出勤の時間になっていた。

とりあえず今日は休もう。そう思ってシフトを見ると夕方から人がいなかったので、とりあえず風邪と嘘をつき出勤時間を遅らせてもらう。

何も考えたくなくて、二度寝した。

 

再び目が覚めたとき、ぼんやりと、あぁ、もう精神科しかない。精神科しかわたしを助けてくれない。という直感があった。

 

わたしはまた近所の精神科に電話をかけた。しかし前回と同じく、初診の予約がすぐにとれる病院は中々見つからなかった。今日の診療を断られ、電話を切るごとに絶望感がましていく。予約したいのですが…ではなく、助けてください、と泣きつきたい気持ちでいっぱいになった。

断られた何軒目かのクリニックで、受付の女の人が「〇〇だったら、初診は予約不要で診てもらえるみたいですよ」と親切に教えてくれた。

そこは市内ではあるものの、少し遠めの病院だったので検索には引っかからなかったようだ。電話をかけると本当に初診は予約不要と言われた。そんな精神科があったのか、と感心しながら、交通手段を調べているともうすぐ今日の外来受付が終わってしまう時間だった。

ベッドから飛び起きて、顔も洗わず(ゲロはかろうじて拭いた)家を出た。電車に飛び乗ると、本当にギリギリセーフで、この電車を逃したら受付に間に合っていなかった。

あのとき電話で教えてくれた受付の女の人には今でも感謝している。ありがとうございます。

 

病院は、入院もできるような大きなところだった。わたしの住む田舎の更に奥地にあり、森に囲まれた坂の上。海がすぐ近くで、波の音が聴こえる。今思えば、ポニョに出てくる老人ホームってあんな感じだった気がする。

その日は秋晴れで暑く、陽射しを避けながら、汗をかきながら外来の病棟に歩いていったのを覚えている。

病棟に入った瞬間、独特な匂いであ、病院だ。と強く思う。たくさんの人が診察を待っていた。

受付のお姉さんに初診の旨を伝え、問診票を貰う。やっと助けてもらえる、という気持ちとしんどさで涙を流していた(電車に乗ったときから泣いていた)わたしに、お姉さんがとても優しい声で大丈夫ですか?と声をかけてくれた。

その声が優しすぎて、なんだかとても久しぶりに人に優しくしてもらったような気になった。人目も憚らず号泣し、また軽く過呼吸になった。(このせいか、初診前に受ける検査用紙には赤ペンで『至急』と書かれていた)

問診票の今一番つらいことは何ですか?の問いに「仕事がつらい、過食がつらい、休日がこわい」と書いた。

 

血液検査などを終えて、お医者さんの診療の前に臨床心理士の方がまずざっと話をきいてくれた。陽の差し込む清潔な診療室で、今の状況から、小さい頃の親の離婚のことや大学通学中のことなど、かなり事細かに話した。

臨床心理士は小柄な女の人で、この人もとても優しい声で話をきき、質問をしてくれた。ここでもまた泣きながら話をしたので、最後には心を乱してしまってごめんなさい、と謝ってくれた。わたしのせいなんだから(?)謝らなくていいのに、病院には優しい人だらけだなあ。と思った。

専門の人間に話をきいてもらえたことで、ひとまずわたしの気持ちはだいぶ落ち着いていた。

 

いよいよ診察室に呼ばれる。病院に来てからもう1時間くらい経っていた。

お医者さんは若い男の先生だった。ニコニコして優しそうだけどなんとなく目を見ることはできなかった。

まずは仕事について、臨床心理士さんにしたような話をもう一度した。時折ティッシュを差し出しながらわたしの話を黙って聴いたあと、フニャフニャ笑いながらお医者さんは「う〜ん、体育会系っていうか…そりゃちょっと疲れちゃいますねえ」と言った。

上司に言われた「これから家族より長い間一緒に過ごすんだから、信頼しあわなきゃ」という言葉を聴いたお医者さんが、

「じゃあ、その『これから家族より長い間過ごす人達』は、今日あなたがここに来ていることを知ってるのかな?」

と、フニャフニャ笑いのまま、しかし鋭さのある声でわたしに質問した。この質問でわたしは雷に打たれたような、ビンタされたような衝撃を受けて、少し正気に戻ったような気がする。

ちょっと疲れてるみたいだから、休みましょう、と言われ、わたしは促されるままに頷いた。お医者さんはくるりと椅子をデスクに向け、手慣れた様子で診断書を作っていく。思っていたより本当に、とてもあっさりと、休職がかなってしまった。

もっとも、休職は当初わたしの頭にはなく、仕事を辞めたいですと話したが、お医者さんは今はまともな判断ができる状態ではないので、大事な決断はすべて保留にしましょうと強めに言った。

診断書には「抑うつ状態」と書かれた。初診なのでまだなんとも言えない、休職してよくなれば適応障害だし、よくならなければうつ病ですね、ということだった。

休職期間は今日から3ヶ月ということになった。2週間から書けるけど、延ばすのに一々また診断書が要るし、長めにしときましょうと言われた。このときはよくわからず頷くだけだったが、その後調べたらまずは2週間しか書いてもらえないケースもかなり多いようなので、これに関しては今でもよかったなと思う。

わたしが今日は夕方から出勤する予定だと話すと、じゃあ、今日会社に行ったら休職の話をして、結果を明日また話しに来てくださいねと言われた。えっ、と思った。このときわたしはまだ正気ではなかったので、内心(明日また病院?でも明日も仕事あるのに…)とか思ってしまっていた。今思い返すと怖い。

お医者さんはわたしの返事を待たず、有無を言わさない速さで明日の予約についてナース室に電話を入れていた。こうでもされなければ休職に成功していたか微妙なところなので、これに関してもお医者さんの判断はやはり正しかったと言える。

 

また、想定外だったのは、自傷についてである。

わたしはこの3日ほど前に所謂リストカットをしており、なぜかポピュラーである手首ではなく、その裏というか、手の甲側の腕を切っていた。痛いのは嫌だったので、かなり浅い傷だ。3日も経てば傷はもうカサブタになってほぼ治っていた。

しかしその傷を見た臨床心理士さんにも、お医者さんにも、やたらと自傷について言及されてしまった。軽い気持ちでやってしまったら、なんだか大ごとになった。勿論当然のことだろうけど、なんだかこんなショボい、中途半端だと自覚のある傷のことであれこれ言われるのは恥ずかしかった。

お医者さんに至っては、診療が終わったあと念のため消毒しましょう、とわたしを処置室まで連れていき、懇切丁寧な処置まで施してくれた。ナースさんと2人がかりで赤チンを塗られガーゼを貼られる。とても居たたまれなかった。繰り返すが傷はもうほとんどカサブタだ。

あとで領収書を見たら、この処置も当然お金をとられていたので笑ってしまった。

 

病院を出ると、もう昼過ぎだった。入院患者であろう、パジャマ姿の老人を隣に、海をボーッと見て波音を聴きながらバスを待つ。

ここに来るまで、また診察を待つ間、スマホが幾度もブーブーと震える度にわたしはギクリとしながら無視していた。恐る恐る点けてみると、上司や同期から何度も着信やメッセージが来ている。彼らはわたしが風邪をひいていると思っているので、心配し今日は休めという旨の連絡をくれていた。返信しなければ。そう思ったが動悸がひどくなったので、また海を眺めているうちに帰りのバスが来た。

 

だらだらとすみません。

次で一旦終わります。