バスを降りると、お腹が空いた気がしたので牛丼屋に入った。
食べたいような気がして和風カレー牛丼を頼んだけど、おいしいんだかよくわからないうちに食べ終わってしまう。
精神科で診断書を貰った直後の行動が、「牛丼屋で和風カレー牛丼を食べる」とは予想していなかった。
自宅、そして職場の最寄り駅へ帰るためホームへの階段を上っていると、偶然、職場の事務さんが向かいから歩いてきた。
目があった気がしたので瞬時に反らした。気づかれないうちに、と思ったら呼び止められてしまう。
事務さんは、とてもやさしいおばさんだ。
会社全体の事務を10年以上もしており、一緒に仕事をすることはなかったけれど、時々話をするタイミングがあった。
わたしは勝手に彼女を第二のお母さんのように思っていた。そこまで親しくもないし、彼女のことをよく知りもしないけど、時々2人でどうでもいい話(今日の夕飯はなに、とか)をする時間はわたしの支えになっていた。
そんな事務さんがその月いっぱいで会社を辞めると聞いたのは2週間ほど前のことだった。これもまた、わたしの心を折る要因だった。
仕事帰りの事務さんは、わたしが事務さんの最寄り駅にいることに驚いていた。合わせる顔がなく、風邪ひいて病院に…と適当に振り切った。
別れてすぐあと、わたしの顔面が余りに蒼白だったらしく事務さんがLINEをくれた。そこでわたしは初めて、会社の人間に休職する旨を伝えた。
結局これを最後に、事務さんと会うことはなかった。けど、初めに病気のことを伝えられたのが事務さんでよかったと思っている。
電車に乗り、職場に行かなくては、と思った。
上司、社長の2人が会社にいる夕方までに行って話したほうがいいだろう。
しかし、座席から立ち上がることができず、最寄り駅を降り過ごしてしまった。
次の駅で降りたけど、本屋で読みたかった本を買って、結局夜までスタバで読んだ。
なにも考えたくなかったし、そういえばさっきお医者さんにも「考えてしまうとは思うけど、あまり仕事のことを考えないようにね」と言われたばかりだった。
こうしている間にも、スマホは上司から着信やメッセージを受信し続けていた。内容ももちろんだったが、何よりバイブの振動が怖くて、サイレントモードにした。
夜になり、観念して会社へ向かうことにした。
とはいえ内心、上司に会うのがとても怖かった。なんて言われるんだろう。
会社に着いても上司の車がまだ停まっているのを見つけて、結局中に入れなかった。
昼は暑いくらいだったのに、夜になると寒かった。2時間ほど外でじっと待って、上司の車が去っていくのを見送った。
意を決して会社へ足を踏み入れると、予想通り社長1人だけが残っていた。わたしが風邪だと聞いていたらしく、心配された。
腕に巻かれたガーゼを指さされ、点滴?と聞かれたが違いますと言うので精一杯だった。
休職はあっさりと認められた。
わたしは内心、休職が認められず退職を勧められるという流れになることを期待していた。調べたところ、休職という制度は法で定められているわけでもなく、会社が自由に設定をしているらしかった。
この期待は社長の優しさによって裏切られた。
それまで知らなかったが、社長もまた、躁鬱での通院歴があるらしい。そしてわたしの知っている社長は、大きな企業のような社風に憧れがある。いつも大きな「ビジョン」を語る。(この辺りは多分ブラック企業あるあるみたいな感じかもしれない)
社長のことは嫌いではなかったけど、日頃社長が語る「ビジョン」と、現実がかけ離れていることは痛感していた。
わたしの休職は、「ビジョン」現実化の一端を担わされている。そんな気がした。
こうしてわたしは休職し、3ヶ月ののち退職を決めた。
アパートを解約し実家に戻り、パン屋になるという夢は1年足らずで終わった。
勝手な転院で抑うつ状態は適応障害へと名前を変え、自分でよくなったつもりになり、通院もやめた。
これまで、わたしは何者にもなれなかった。いつまでたってもワナビーだった。
漫画家、アニメーター、webデザイナー、ドラマー、歌い手、大手同人作家、なりたいものはたくさんあった。なりたいと思うだけで、なれなかった。
どれも本気でなりたいと思っていたのか、努力したことがあるのか、そんなレベルだった。自分に底の底まで失望していた。
そうして25才で、わたしはパン屋になった。
今までの経験や失敗を忘れたのか、わたしには浅はかにも「ようやく人生がはじまった、人生が変わった」という気持ちがあった。
雑誌やネットで色んな成功者が語る、「30才から楽しくなった」とか、「人より遅かったけどやりたいことが見つかった」とか、そういう夢みたいな話がわたしにも起こっている、と本気で思った。
結果はやっぱりうまくいかなかった。
1年足らずで精神を壊し、わたしは精神科の患者になった。
そして、通院をやめた。患者ですらなくなった今。
わたしは再び、何者でもなくなったのだ。
何者でもない人間に物語は存在しない。
逆を言えば、パン屋になって精神科の患者になった、その間だけわたしの人生は物語のように動いていたような気がする。
1年にも満たない物語は終わりを迎えた。
人生は漫画や小説とは違う。
物語の終わりを迎えても、人生は勝手に終わらない。
何者でもないわたしの人生がこれ以上どこまで続くのか、わたしにはわからない。
こんな感じでひとまず終わりにしたいと思います。(ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました)
休職中のこととか病院のこととかはまたぼちぼち書いていこうかなと思います。
自分を慰めるため、整理するため、暇つぶし、とりあえず自分のために書きました。
だけどもし同じような方が読んで、わかる〜〜〜〜〜ってしてくれるのは嬉しいです。
生きづらい、生きるのしんどい人たちが、心安らかにあらんことを。