どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

診察はコミュニケーション(その1)

以前書いた通り、わたしは去年初めて精神科にかかった。

二つの病院にかかったが、どちらも途中で勝手に行かなくなってしまった。

前者は具合が悪化したため。後者は逆に、具合がよくなったからだ。

通院もやめて薬も飲まなくなったわたしだが、やはり希死念慮は消えないし毎日が生きづらい。

これは精神科にかかる以前からのことだ。でも生活に支障をきたすほどではないと思っていたし、世の中みんなこんなものだと思うようにしてきた。

しかし、どうやらそうではないみたいだし、何より一度うつ(適応障害)を経験した精神は、毎日がつらいことに耐えられなくなってしまった。

ので、近いうちにまた病院に行くことにした。進捗についてはここやtwitterに書くことと思うが、以前かかったときとはかなり心持ちが違う。

一番違うのは、「病院やお医者さんは万能の神や魔法使いではなく、わたしを救ってくれるわけではない」というのがわかっていることだろう。

とりあえず、そう思うに至った経過というか、病院にかかったレポみたいなものを記録として書いておこうと思います。

診察内容とか療法とかより、わたしの気持ちがつらつら書いてあります。

 

 

最初の病院については前の記事で初診まで書いたので、その後を書きます。

初診→休職の流れは本当にスピーディーで、「あ…助かった…」と思った。仕事に行かなくてよくしてくれたお医者さんに感謝の気持ちでいっぱいだった。

しかし、そこでわたしの抑うつ状態は治ったわけではない。むしろ名前をつけられ診断書を書かれ、始まったと言える。

鬱々とした休職期間の中、通院は2週間に一度だった。はじめは週に一度だったが、自傷や情緒不安定が落ち着いてきたので大丈夫でしょうということになった。

通院には電車、バスを使う。職場のすぐ近くを通らなければならず、動悸を堪えながら歩いたのを覚えている。わたしの場合、乗り物は基本的に空いているのもあり問題なかったが、余りにコンディションが悪いと動悸が治まらず泣きながら乗った時もある。

こうして、病院に着く頃には結構最低な気分が完成している。

そこは入院ができるような大きな病院で、外来にも常に人が溢れていた。

地方だったからか、その大半は痴呆・老人性うつの高齢者とアルコール依存症(専門の科があった)の患者さんだった。

ゆらゆらと揺れている小さい小さいおばあちゃんの横で、家族が看護師さんに「昨日、タオルで首を吊ろうとしたんです」と 伝えている。終末感漂う待合室にいるだけで、更に気分は落ち込んだ。

 

診察は5分ほどの問診で終わる。

これは決して珍しくないことだとはわかっているが、実際に体験するとあまりの呆気なさ、流れ作業感に驚く。

診察の度に、少しずつ魔法がとけていくようだった。

お医者さんがわたしにチェックするのは決まって、自傷・食欲・睡眠だった。 

自傷は休職直前の本当に限界だったときしかやっていない。食欲はある。(ただし過食に悩んでいる)睡眠はとれている。(ただし他に何もしたくないし考えたくないのでむりやり寝ていた)

わたしにとってはこの「ただし」の部分がつらいのだけど、とにかくお医者さんにとってはその3点をクリアしているか否かが最も重要なのだ。お医者さんの仕事は病気を診断し治療することで、病院は悩み相談室や懺悔室ではない。

それでも、学生時代からずっと抱えてきた生きづらさや悩みが、この機会に救われるかもしれない。そう思ったのだが、5分ほどの問診では自分の悩みや気持ちを打ち明けるのはとても難しかった。お医者さんはとても忙しそうだったし、抑うつ状態のわたしなんかよりもっと困窮している人間がいるかもしれない、その人を待たせるのは申し訳ないという気持ちがあった。

そして何より、わたしは余り親しくない人とのコミュニケーションが得意ではないのを忘れていた。それはお医者さんも例外なくそうなのだ。

 

永田カビさんの『レズ風俗レポ』に描かれていたことを思い出した。性行為は高等なコミュニケーションで、その前段階の色々な経験をすっとばしてそこに至ってもうまくできないのだと。

もちろん風俗での性行為とお医者さんとの問診を比べるのは大分違う気もする。

しかし、永田カビさんが「性行為のプロ」とも言えるレズ風俗のお姉さんとうまくいかなかったのと同じではないか。相手に問題はなく、やはり自分なのだ。精神科のお医者さんという、わたしからしたら「精神疾患に関するプロ」を以てしても、わたしが自発的に何かを発さなければどうにもならないのだ。

お医者さんは魔法使いでもエスパーでもないのだから。

 

結局、どうしても最後までお医者さんとはうまく話せなかった。

過食のことを言ってみたことはあるけど、(なんなら初診から言ってるけど)わたしの話が下手くそすぎてキャッチボールは失敗に終わった。コミュニケーション能力が低いと、お医者さんに病状もうまく説明できないのか…と痛感した。

段々と、「病院でお医者さんとうまく話せない」こと自体がストレスになった。

「助けてほしい」もうまく言えないのに、問診が終わる度に「助けてもらえない」と絶望的な気分になり、とうとう帰り道で過呼吸を起こした。

 

このすぐあと、実家にしばらく戻ることになった。通えない距離、というもっともな理由ができたのでわたしは通院をやめてしまった。

ちなみに処方されていたのはレクサプロ(SSRI)です。

2ヶ月半くらいは毎日飲んでたけど、効果があったかよくわからない。

長くなってしまったのでまた今度続き書きます。

新しい病院行ってきます。