職場近くのアパートから実家に戻ってきたタイミングで、適応障害の経験がある友人と遊ぶ機会があった。
そのとき教えてもらった病院が、わたしにとって2つめの病院だ。
前回の反省を踏まえ、わたしが病院を選ぶ際に気をつけたポイントがある。
「女医さん」「カウンセリングが可能」の2つだ。
前の病院でも臨床心理士さんによるカウンセリングは存在したようだが、まず主治医に相談の上、予約をとらなければならなかったので主治医とうまく話せないわたしはカウンセリングを諦めた。
紹介された病院は女性専用で、1回の診察ごとに30分以上のカウンセリングを保険適用で行ってくれるとのことだった。夢のようじゃないか。
前の病院とお医者さんがわたしに合わなかっただけで、きっとわたしに合うところがあるはず。わたしを救ってくれるお医者さんがいるはず。
そのときはまだそんな風に思っていたのかもしれない。
その病院は小さな雑居ビルの中に存在した。
完全予約制ということもあり、かなり小じんまりとしている。スリッパや椅子、トイレなどは病院というよりあまり親しくない親戚の家みたいな感じだ。
病院=清潔・静謐というイメージがあったわたしは、(こういうのもあるのか…)状態だった。
初診では前の病院にかかったときと同じようなこと、休職のなりゆきを話すに終始した。
お医者さんは、割と調子の軽めなおばさん先生だった。
睡眠・食欲・自傷についてチェックされるのはここも同じだった。
ただ、当時わたしがひどく感じていた動悸や不安について聞いたおばさん先生は、「う〜ん、あなたうつ病じゃないね、適応障害でいいと思う」と言った。
これは以前も書いたが、前の病院では病名を明確にはつけられず、「抑うつ状態」とだけ診断された。休職でよくなれば適応障害だし、よくならなければうつ病だろうという見立てだった。
その結果を待たずして、わたしの診断書は抑うつから適応障害へと書き換えられることとなり、投薬も抗うつ剤(SSRI)から抗不安薬(レキソタン)へと変えられた。
初診を終えた感想は「こんな感じか〜」だった。こちらが一方的に話をして終わったので、まだよくわからなかった。
嬉しかったのは、前の病院にはもう行かなくていい、転院届けも要らないと言われたことだ。
前のお医者さんに「あの…カウンセリングを受けたいんですが…」すら言えなかったわたしには、転院を願い出ることは更に困難だった。安堵した。
逆に嬉しくなかったことは、適応障害という新たな診断だった。
正直なところ、学生の頃からずっと病名がほしかった。うつ病と診断され、うつ病だったんだ、と薄暗い安心を得たかった。周囲の人間にわたしの辛さをわかってほしかった。
しかし、適応障害はうつ病より「弱い」。わたしはそんな風に思ってしまっているのだ。
精神の病気や個人の辛さは可視化できないので、簡単に比べることができないものだ。しかし、「あなたの辛さ、大したことないよ」と言われている気分だった。
しかしその後、わたしの具合は突然に快方へ向かった。
通院や薬のせいもあるかもしれないが、初診から1週間ほど後のことだったのでなんとも言えない。
最大の要因は、お金が本当になくなったことだ。
元々僅かだった貯金が、ほぼゼロになった。次の家賃を払うことができない。
あとがない。選択肢がない。働かなくてはいけない。多分本能で、そう思わされた。
そう思った途端、自然と寝たきり状態から脱し、バイトの求人を見る元気が湧いてきた。なんというか、しゃきっとした感じに自然となった。
休職しはじめてから2ヶ月が過ぎていた。寝たきりで、することがない状態に限界がきていたというのも大きい。
その後何度か通院をし、カウンセリングを受けた。
それまでカウンセリングを受けたことがなかったが、その病院におけるカウンセリングとは、要はただの悩み相談に感じられた。
わたしが話し、おばさん先生がそれにアドバイスをする。
あくまで個人の感想だけど、そこに医学的・専門的な見地は見受けられなかった。もっと「治療」のようなものを想像していたので、拍子抜けだった。
そして、ここでも魔法がとける瞬間があった。
生来根暗で、考えすぎる性格で…という話をしていたときだ。
「あたしもあなたの年齢くらいのときはそうだったよ、でもね、変わったの」とおばさん先生が言う。
「どうやって変わったんですか」
「努力だね。いつもみたいに悪いサイクルにハマってるなと思ったら、無理にでもいいサイクルへ思考を変える。そしたら段々とそれが当たり前になってくから」
努力。
結局は、努力なのだ。
何かがわたしを変えてくれるわけはないのだ。
わたしが生きづらさを解消したいなら、努力してわたし自身を変えるしかない。
努力。職場で上司に言われた言葉を思い出す。
「努力が足りない。結果がでなければそれは努力してないのと同じ」
「努力」の二文字に潰されていく気分になった。
そのカウンセリングを最後に、通院をやめてしまった。
勝手に?具合がよくなってきたのもあるし、恐らくおばさん先生とカウンセリングを続けてもわたしは変わらず、救われないだろうと思ったからだ。
カウンセリングという行為に期待をしすぎていたのだと思う。
前の病院と同じだ。カウンセリングもまた、わたしとおばさん先生の二者間のコミュニケーションの中で行われる。
いくらおばさん先生がわたしの心を解そうと努めても、変えてくれようとしても、わたしにその気がなければ無理なのだ。
このあとわたしは派遣会社での仕事をはじめるが、3日でバックレた。
今は適当な雑貨屋で適当に働いている。
これをまだ完治?してないととるか、ただのカスととるか、どちらでしょうか。