桜が散って、春が終わります。
年をとるにつれ、あらゆる場所で、時間で、所在がなくなってきたように思う。
期間限定感。仮住まい感。他人事感。
何も見ないように聞かないようにしてると、あらゆる記憶の焦点は曖昧になって、無理に思いだそうとしなければ段々忘れてしまう。それが顕著だからかもしれない。まるで記憶喪失のような感じ。記憶喪失したことがないけど。
何年か前の自分のことはもうなんだか他人事だ。ただ、なんの傷かは忘れても、傷は残っている。酔っ払いが朝起きたら体中に原因不明のアザができている感じだろうか。そんな感じで生きてます。
とまあ、今日はメンがヘラなので自傷の話を書く。
先に言っておくけど、かなり「ショボい」と思われるのでそういうの(?)を期待してる人がいてもがっかりしないでほしい。
大学くらいからか、「死にたい」という気持ちが常に頭に置かれるようになったのは。
かといって、自殺願望がある、といえば嘘だと思う。
死ぬのは苦しそうで痛そうで怖い。
痛いのや苦しいのは苦手だ。得意な人は少ないと思うけど。
痛いのや苦しいのが苦手なので、自傷行為もしたことがなかった。
自傷行為をしたことがない頃のわたしには、自傷(リストカットや抜毛など)=自殺未遂のような認識があり、死にたくて身体にダメージを与えるけど怖くてそこまではできない、みたいな人がやってるんだと思っていた。
きっかけは一瞬かつ偶然だった。
精神科に駆け込んでパン屋を休職する4日前くらいだったと思う。
キッチンでパン切りナイフ(波刃になってるやつ)を洗っていたら、結構勢いよく腕に当たってしまった。
腕の皮膚に、ごく細い線がすーっと引かれて、見つめていると、線の端から血が赤い球みたいに出てきた。
驚いた。全然痛くないのだ。
試しにその線の隣に、もう一本線を引いた。
今度は完全に意図的にだ。
ギザギザの波刃のおかげか、やはり痛くなかった。
多分もっと強くやれば痛かったんだろうけど、そこまでやろうとは思い至らなかった。
ふーん、これがリストカットかあ。
わたしはどちらかといえば、パン切りナイフの切れ味と、その切り口の綺麗さに関心していた。
リストカット=恋空とかDeeploveみたいなケータイ小説のイメージがあって(我ながら適当すぎるイメージ)、いい年して何やってんだろうと恥ずかしくもなっていた。
皿洗いを終えて、部屋でしばらくテレビを観ていた。
なにかソワソワする。
気がついたらまたキッチンに戻り、パン切りナイフを手にとっていた。
何やってんだろう、と思いながらまた部屋に戻る。椅子に座って5分もせず、またキッチンに向かった。
「今日はここまで!」って封をしたお菓子を、「あと1個だけ…」と言いながらキッチンに戻って何個も食べている、そんな感覚だった。
どこかヤケクソだったし、ソワソワもしていた。そしてどこかで新鮮で、なぜかおもしろしくもあった気がする。
気づいたら手首(なぜか手の甲側)に赤い線が十数本できていた。
満足したのかよくわからないうちに、何やってんだろ感が押し寄せる。過食に似ていた。
朝起きたら、別にいつもの朝だった。
ただ、腕をみたら完全にリストカッター(笑)のそれでギョッとした。
(笑)をつけたのは、傷が本当に浅かったからです。止血するまでもないようなかすり傷で済ませるところが、さすがわたし、中途半端だ…と寝ぼけながら思った。
寝ぼけていたので絆創膏などで隠すのを忘れて家を出てしまい、腕まくりができなくて仕事中とても困った。上司が腕まくりしていないことを非難したげだったけど、何とかやり過ごした。
その後実家に帰ったときには、特に意識せず腕まくりをして過ごしていた。当然家族にはバレた。
姉はとても驚いていたし、心配された。
母は何だか呆れたように、あんた何やってんの…と言った。これは結構堪えた。
何やってんの、と言われ何やってんだろうね…、と言うことしかできなかった。実際なぜやったのか明確な理由が自分でもわからなかった。だって、衝動でしかなかったのだ。結局わたしは心配されたくて、みんなに辛さをわかってほしくてやったのかもしれない。
だけど貰えた心配は、わたしの心を救うことはなかったし、それ以上に母の言葉で余計に傷ついた。
結局、そのあと自傷をしたのは仕事を休んで精神科に駆け込む前日だけだ。線を数本増やしただけ。以来、あの衝動が訪れることはなくなった。
前記事でも書いたけど、衝動まかせでやってしまったものなので、自身ではそこまで深刻にとらえていなかった。なので精神科ですごくそこに突っ込まれて戸惑った。お医者さん曰く、
「リストカットって、やるとセロトニンが出るんですよ。薬なんかよりすごく。だけど、段々麻痺してくるから傷はどんどん深くしてかなきゃいけなくなる。そしたらあるとき切りすぎて死んじゃう。だからまあ、止めてくださいね」
とのことだった。
そうなのか〜、と自傷についてググってみたら、色んな人たちの自傷がネットにはたくさんアップされていた。
見てるこっちが痛い、となるような写真ばかりですぐに見るのをやめてしまった。格付けをするのはおかしい話だけど、やはりわたしの傷なんて、かすり傷レベルだ。
実際にやってみて初めて、自傷=自殺未遂とは違うのだなあと理解した。理由や目的は様々だし、それらは比べられるものではない。人の辛さと同じように。
経験者(たった2回で経験者ヅラしていいのか疑問だけど)となって、今やっている人たちへやめたほうがいい、とは言えない。それをしなくてはいけない状況にある人たちにわたしから言えることはない。ただ、それぞれにとって辛いことがなくなりますようにと思うことしかできない。
あと、これは書いておきたい。かすり傷程度のわたしの傷でも、うっすらと跡が残った。
カサブタが剥がれ、白くなった線が半年経った今でも残っている。
他人が見ても気づかれるのかよくわからない、とても微妙な傷跡だ。中途半端な事柄の顛末はやはり中途半端である。
寒くなくなり、仕事で腕まくりすることが多くなってきたので、隠すべきか、いや、でもそれはそれで自意識過剰というかメンヘラアピールでは?とモヤモヤしている。
この跡がいつか消えてしまっても、それはそれでモヤモヤするかもしれない。
モヤモヤでいてくれるうちは、多分わたしの精神は大丈夫だろうと思う。
正直に言えばあの衝動がたまに恋しくなる。恋しいうちは、やはり大丈夫だろうと思う。
このまま大丈夫でいてほしいし、できれば大丈夫の一個上に行きたい。大丈夫の一個上ってなんだろう。