昨日、心療内科に行ってきたのでその記録を書きます。
昨日で3回目の通院、前回からはもう1ヶ月以上経ってしまった。
わたしの通う病院は予約制ではない。(4月から予約ができるようになったっぽい)先生には2、3週間後くらいにまた来てねと言われていたが、ずるずると行けない日が続きこうなった。
正確には行けなかったわけではない。休日はそこそこあったし、そのすべてに一切の予定はなかった。
単に億劫だったからである。
救いようがないなと思う。だけど気が重い。
意を決して行った昨日も、別に怒られるわけでもないのに診察を待つ間不安で不安でしょうがなかった。
診察の内容自体はまあ、特段書くようなことはない。薬がレキソタンからサインバルタに変わったことくらい。
いつものように食欲、睡眠について聞かれ、問題ないと答えた。食事がおいしめず、楽しくないという話をしようか迷ったけど糖質はたくさん食べているので結局言い出せなかった。
バイトを辞めることにした話をして、店長の話になった。詳細はTwitterにいくつも愚痴があるので省くが、店長のような人間を受け流すことがかなり苦手であるという確認をした。先生いわく「う〜ん、そのへんはまあ、経験値じゃないかなあ」ということだった。
このような暮らしで経験値がたまることはほぼないので、ずっと苦手なんだろうなと思った。
ひとまずは、効果の感じられないレキソタンを変えてもらえたので行ったかいはあった。
帰り道、なぜ、わたしはこんなに病院へ訪れるのを億劫に感じたのか不思議に思った。
Twitterなどを見ていると病院を億劫がるのは珍しいことではないようだ。
平日バイトで外に出ているとき、とにかく訳もなくつらい、誰かに助けてほしいとあんなに強く思うのに、休日になると家から出られない。
先生は今のところ悪い感じではない。むしろ今までで一番好きな感じがする。なのになぜ。
単に面倒くさがりの性格であるというのがほぼ大半の理由だろうと思う。しかし、加えて、わたしはやはりどうしても自分の病気かよくわからない状態に負い目を感じているようだった。
この病院でははっきりとした診断を受けていないので、自分が今うつなのか、本当に発達障害なのか、わからない。
はっきりと診断されない以上は重篤なものではなく、こんな程度(と思ってしまう)で病院にかかっていいのか、かかってよくなるのか。
病院に行くのは「病気」を治すため。その治すべき「病気」がわたしの中にあるのか、自信が持てない。
おそらく普通に働き生活をしている人の中には、わたしと同じレベルの負荷がかかっている人なんてザラにいるだろう。
その中でも健常な人は、多分病院に行かなくとも自力でなんとかできるのだと思う。
各々いろんな方法でストレスを解消したり発散したりして日々嫌なことがあっても生きている、それは当たり前のことなんだけどわたしにはとてつもなく難しいことのようで、すれ違う大体の人がそうやって生きていることが本当に不思議に思える。
わたしは自力で何とかできないので、病院に行って手助けをしてもらうのだな。
のだな。というのは、書きながらそのことに思い至ったのです。
これが一番しっくりきた、というかわたしの罪悪感をやわらげてくれたのでしばらくはこれでいこうと思います。