減薬vsわたし
ヤクが切れたため、久しぶりに心療内科へ行ってきた。
具合は依然として悪くないものの、病院に行く前はあれ話そ〜とか色々考える。だけど待合室で他人と一緒に小一時間待っているうち、疲労感と無気力感でいっぱいになるので結局話そうと思っていたことは話せないのが常だ。
病院の待合室、なぜあんなに居心地が悪いのか。
問診で何度目かになるやりとりをした。
「最近どうですか?」「調子いいです」
「夜眠れてる?」「眠れてます」
「ご飯は?」「食べてます」
「じゃあそろそろ薬減らす?」
「それはちょっと…」
これまでは先生も、まあ仕事に慣れるまではね〜とか、冬だからね〜とか、スッと減薬の選択肢を引っ込めてくれた。
しかしさすがにそろそろそうはいかないらしく、減薬の勧めが続いたのでわたしは純粋な疑問として「薬を減らすとなにがいいんでしょう…」ときいてみた。
今考えると駄々をこねる子どものようで恥ずかしい。けど、今の量で薬を飲み始めてから人生史上最も生きやすいわたしにとっては減薬するメリットが本当にわからなかったのも確かである。
先生は即答した。
「そりゃ〜ね、薬を減らしていってやがて必要なくなって、ここ(病院)を卒業するっていうのが一応目指すゴールですから」
うわ〜、そういやそうだった〜、という気持ちになりつつも、わたしは駄々こねを続けた。
「人生でこんなにつらくないことが初めてなので、薬をやめて元気になれるイメージがわかないです」
「えっそんなにですか〜?初めてなの?」
「理由もなくつらいとか、朝起きた瞬間から一日中憂鬱とか、そういうのがずっとあったから」
「なるほどね〜。でもそれって、薬のせいだけじゃなくて、環境の変化もあったわけだし、何より自分の心が成長したからではないの?」
「えっ」
「えっ」
つい最後をインターネッツ文体にしてしまったけど、「心の成長」とかいう発想が一欠片もなかったのでとてもびっくりした。
いや〜…と黙ると、「あると思いますよ〜、自信持って!」と追撃されて笑うしかない。
駄々をこねた甲斐があり、結局今回も減薬は見送りとなった。
帰路の途中、先生の「自信持って!」がエコーのようにほわわわ〜んと頭の中に繰り返されている。
心の成長によって調子がよくなったとは全く思っていないので驚いたのもあるが、そう思うことは自信がないということなのか?という衝撃も同じくらいあった。
なんでもかんでも自信だの自尊感情だの自己肯定感だのに結びつけてしまう癖(ネットでよく目にするようになってからはなおさら)があるし、これだけ長い間自虐と共に暮らしているとなにが自虐でなにがそうでないのかわからなくなるときがある。
もはや「自尊感情」などの単語そのものに踊らされているなあという感じ。そもそも健常人はこれらの単語を日常でほとんど意識すらしないんじゃないか。
そして未だ減薬が怖いという意志は固いので、今後も先生との攻防は続いていくと思われる。続報はまた書きます。