どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

自虐のつもりじゃないけど

日曜日の夜。

いわゆるサザエさん症候群に陥っている。今の仕事に就く前は平日休みのシフト制しか経験していなかったので、これが正しいサザエさん症候群かあ…と思っている。サザエさんはみていませんが。

サザエさん症候群なんて一言で片付けて、世の中の人は次の日からよくまた元気に外に出られるなあ。

ムシャクシャして憂鬱がすごくて、涙を流したいという気持ちが高まっている。でもオレ……泣けないんだ………✝

いや、なんかほんと涙腺が固い?んですよね。休職のあれこれで号泣した以来、たしかまともに泣いてないな。

わたしの体は多分、つらい・悲しい気持ちが涙腺と連動してないんだと思う。

それはそれでいいんでしょうけど(なにが?)。隣の芝生は青く見えるので、ワーッと泣ける人が羨ましくなったりもする。

 

自虐についてバービーが話してたのをTLで見かけた。バービーの話とはほぼ関係ないんだけど、自虐について書きたい。

わたしはかなり最近まで、自虐をコミュニケーション手段のひとつにしてきたと思う。

だけど大人になると、それが通用しなくなるんだと気づくのにずいぶん時間がかかった。あと、自虐と謙遜は似ているようで全く違うものというのも。

大人の、ある程度の年齢になると「自信」がまともな人間としての大切なステータスの一つになるらしい。それまでは「自虐・謙遜」→「笑いもしくはフォロー」という周囲の反応が、ハッキリと変わっきたのを感じる。苦笑いか、引かれることが多い。

自虐や謙遜は他人に気を遣わせるし、楽な逃げ道になりうる。なるべく言わないようにしたいと思う。

でも、それが結構難しい。

生来自虐と共に生きてきているため、もはやなにが自虐でなにがそうでないのか判断がつかないときが多い。

たとえば「わたしはデブです」。

いきなり会話中にこんなふうに飛び出してはこないけど、これは、わたしにとってはもう逃れようのない、ずっと変わらない事実である。

This is a pen.とか、1+1=2と同じなのだ。

あと、「友達がいない」。

これもそう。

だからたまに油断して「今日は暑いですね」とかそういう世間話レベルのときにぽろっと出てしまうときがあり、あ〜やってもうたとなる。難しいな〜。

 

ちょっと話は逸れますが、星野源かな?が、テレビで喋ってたときに、「今まで自分は人見知りだったけど、それって人としてダメってことに気づいた」みたいなことを言ってた。人見知りってコミュニケーションを放棄してて、ちゃんと努力してコミュニケーションとってる周りに対して失礼。みたいな感じだった気がする。

たしかにそのとおりだとは思うんだけど、人見知りだった人が、人見知りをバサーーーッと斬って捨てるみたいなことがすごくショックだった。別に星野源は好きでも嫌いでもないですが。

社会ってきびしーな。