人生の起承転結は済んだ(転その1)
新しい生活が始まった。
心配していた朝早い生活も、意外とすぐに慣れることができた。
寝坊をしたのは一回だけだ。
パン屋の人はみんないい人たちだった。
片手ほどの人間しかいなかったが、職場の中でパン屋の仕事未経験というのはわたし一人だった。
そのため他の社員たちとは違い、販売や事務作業を任され、製造は徐々にやらせてもらう形をとってもらった。
初めの数ヶ月は驚くほどに楽しかった。
わたしは元来根暗・人見知りで、対人関係におけるストライクゾーンもかなり狭い。なのに、不思議と早くから職場にとけ込むことができた。
仕事の覚えも順調だった。毎日があっという間だった。
ただ、一つ心配だったのは割と早くから自炊をしなくなったことだった。
何しろパン屋ではとにかくパンを食べる。勉強と称した味見、廃棄も持ち帰りOKのパン屋だった。
勿論廃棄を持って帰って食べる必要はないのだけど、そこはデブらしく夕飯代の節約節約〜と自ら習慣にした。
一人暮らしを始める直前、わたしはパンは勿論だが料理にもかなりハマっていたため、この有様には自分で驚いた。
数ヶ月を過ぎると、製造の仕事に入らせてもらうようになった。
ここでわたしは思い知る。
人には向き不向きがあること。
どれだけ努力をしてもできないことがあること。
努力は結果がでなければしていないのと同じことだということ。
最後のは実際に上司に言われたことでもある。
それまでわたしは向き不向きという言葉が好きではなかった。
「向いてないから、しょうがない」と言って物事を諦めることが嫌だった。負けず嫌いなんだと思う。
何事も、本気で努力すればある程度は形になるんだと思ってきた。
誰でもできるような凡庸な仕事や物事においてはそうかもしれない、しかしパン屋の仕事はそういう仕事ではなかった。わたしは多分前者しか経験してこなかったんだと思う。それに気がついたのは休職したあとだ。
つまり、わたしはとてつもなく製造の仕事ができなかった。
何度も同じことを注意され、教えてもらった。上司は根気よく教えてくれた。
わたしもそれに応えたくて精一杯努力したつもりだった。しかし結果は思うようにでなかった。
同期との差もどんどんついていった。
勿論わたし一人販売や事務の仕事を兼任しているので、周りはしょうがないよと言う。しかしわたしはそれがとても悔しかったし、上司も口ではそう言っていたが、本心では「皆より経験のないぶんもっともっとやれ」と思っていただろう。
初めこそ週休2日、1日10hほどで終わっていた仕事も、今や週休0.5日、朝から晩まで会社にいることがほとんどだった。
その中で空いた時間にひとり練習をするという余裕は正直なかった。
大きな誤算は2つあった。
デブではあるものの健康体で、休みも暇なわたしは労働時間がいくら長くても平気だと思っていた。
しかしわたしの心身はそれに耐えられるように作られていなかったのだ。
(実際、個人でパン屋を続けているのはそれに耐えられる「才能」のある人間だけだろうと思う)
段々と、ゆっくりとしんどくなった。
休日に何もできない。
少しでも身体を休めて、明日に備えなければと思い、休むことさえ仕事のように思えた。
これが1つめで、2つめは、自分は思った以上に無能だということだった。
わたしがその場に安心して身を置き、他人と円滑にコミュニケーションをとることができていたのは周囲に有能だと思われていることが前提だったのだ。
更には注意されたり怒られたりしたあと、気分の切り替えができずにそれが露骨に態度や仕事に出た。
そしてそのことを更に怒られる。完全に悪循環だった。
かの有名な『うつヌケ』の田中圭一さんも自身のことを書いていたが、自分が無能だと思いながらその職場で働き続けることは本当に精神にクるのだ。
ちなみに『うつヌケ』は精神科に駆け込む直前にたまたま購入して読んだ。購入当初はおかしくなっている自覚がなかったため他人事のように読んでいたけど、今読むと完全にこの頃のわたしである。
ただしわたしの「うつヌケ」は未だ到来していない。
そしてわたしは限界を迎えXデーが訪れることになるのだが、その前におそらく決定的な要因だと思われる出来事が起こる。
それはXデーの1ヶ月前。
その日は1週間の中でも最も忙しく過酷な曜日だった。
まだ暗いうちから出勤し、掃除やミーティングを終えて帰り支度をする頃には日付が変わろうとしていた。
何気ない会話の、わたしのほんの些細(とこの時は思っていた)な一言で、上司が史上最高に怒った。
帰り支度をしていたはずなのに、そのまま説教がはじまりそれは2時間ほど続いた。こんなのは初めてのことだった。
それは仕事の内容や出来不出来のことも多少はあったけど、大半はそのことではなかった。わたしの根本についての話だった。
何をするにもガサツ、爪が甘い、気が利かない。
笑顔がない、返事が小さい、目をあわせない、テンションが低い。
特に後半の部分が職場の雰囲気を悪くしている、いい加減にしろという話だった。
実際それはその通りであったし、今まで何度か強めに注意されてきたことでもあった。
優しい上司も限界だったのだろう、火山のようにわたしへの不満が噴出して怒りに震えていた。
怒りに震えている人間を見るのは初めてだった。ついさっきまで笑い話をしていたのに。頭が真っ白になった。
わたしだってやる気がないわけじゃないし、わざとガサツにしたり、わざと返事を小さくしているわけではない。
これはわたし自身、パン屋以前にフリーターとして働きだしてからずっとずっと悩んでいた部分だった。
気分にムラがあり、落ち込みを態度に出してしまっているし、周りにはそれが落ち込みというよりは「機嫌が悪い」ととられていることもわかっていた。職場にいたら嫌な人間であるところの「気分屋」というやつにわたしはなっていた。そんな自分がとても嫌だった。
毎日毎日ロッカー室で着替えながら今日は元気に、笑顔で、と念をこめて出勤していた。
PMSの気があるとも思い、命の母やサプリを買って飲んだりもした。
それでも無理なときは無理だった。
このように、無理なときは無理だったので、わたしの努力は1ミリも伝わっていなかった。
怒られて、改めて思った。
こんなことで、仕事内容以前の人間としての根本みたいなところをこの年になってまだ注意されるなんて。こんなことで自分だけでなく周りに嫌な思いをさせているなんて。
この地獄のような2時間で更に最悪だったことは、その場にいたのがわたしだけではなかったことだ。
ミーティング終了直後の出来事だったので、同期が全員残っていた。とってつけたように、あるいは八つ当たりのようにわたしのあとに同期全員も怒られた。
みんな疲れているのに、わたしのせいでこんな地獄に巻き込んでしまった。
それに、わたしより怒られてる人なんて誰もいない。
やがて説教は終わり、通夜の帰りのようにみんな粛々と再び帰り支度をはじめた。
わたしはすでに号泣していたが、とにかくこのまま同期たちと帰路をともにすることは耐えられないと思い、先に帰ってもらった。
その後、蛍光灯ひとつだけ点いた薄暗い事務所のなかで一人、わたしは人生初の過呼吸を経験した。
結局落ち着くのに1時間かかった。気がついたら明日の出勤までもう何時間もなかった。
帰って早く寝ないと。明日からは絶対笑顔で頑張らないと。
この日、心が折れてしまったのを感じた。
辞めたい、いつ辞めよう。
働きはじめてまだ半年とちょっとだった。
転、長いのでもう少し続けます。