人生の起承転結は済んだ(転その2)
「上司から2時間説教され事件」から、職場では露見しなかったものの徐々にわたしの心身には変化が起こっていた。
まずは過食が止められなくなったこと。
嘔吐や下剤乱用は怖くてできなかったため、所謂「むちゃ食い症候群」と呼ばれる状態にわたしは成り果てていた。
毎晩毎晩廃棄のパンを平らげては、コンビニで更に甘いもの・炭水化物を買い込む。家まで待ちきれず歩きながら食べる。
これはまずいと思い財布を持たないで家を出ても、帰宅したら財布だけ掴んでコンビニに走る。財布にお金を入れないようにすれば幾ら手数料がかかろうとATMで降ろしてしまう。
何かに取り憑かれたようだった。みるみるうちに10kg太った。
いつでも胃が重く、ゆるかった洋服はどんどんきつくなり、ますます自分に自信がなくなる。
ちなみに生来デブだったわたしだが、パン屋で働く前に人生初のダイエットに成功していた。ちょうど-10kg。
過去の自分が成し遂げた数少ない努力と成果を自分でぶち壊してしまったことが辛かった。
また、過呼吸も癖になってしまっていた。
仕事の帰り道や、家族から実家のねこの写真が送られてきたとき、唐突に号泣してしまい過呼吸を起こすことが何度かあった。
AKBの人がやってるようなことを、わたしがやるとはな…とどこか冷静にゼーゼーしていたのを覚えている。
人生で初めて自傷もした。
うつの症状で多く見られる不眠こそなかったものの、数少ない楽しみだった睡眠も怖くなった。
寝たら明日が来てしまう。仕事に行かなくちゃいけなくなる。
仕事中いても立ってもいられず、終わるまであと何時間、あと何分、と数えるようになった。
この辺りで、すでに精神科にかかりたいという気持ちがあった。
しかしこのときは休むことが目的ではなく、むしろ働くためだった。
上司に指摘されたわたしの気分の落ち込みは、最早処方される薬でしか改善できないと思ったからだ。
また、過食についても自分でどうにかできるレベルではないと思った。
休みの日に近所の精神科を探して電話したが、どこも最低1ヶ月先までは予約がとれなかった。今すぐ助けてほしいのに。また泣いた。
Xデーは、連休のあとにきた。
奇跡的に貰えた連休でわたしは迷わず実家に帰った。
連休前、帰り支度をするわたしに上司が声をかけてくる。
「○○、最近疲れてるから、ちゃんとリフレッシュしてきなよ」
ナイフのような言葉だった。
もちろん上司はわたしを気遣ってくれたのかもしれない。しかしその時のわたしには、
「〇〇、最近疲れてるから、ちゃんとリフレッシュしてきなよ(疲れを周りにみせるな、ちゃんと休んでまた元気に働け)」と聞こえて、グリグリと刺さった。
実家にはわたしを心配した母や姉がいたが、母がさり気なく無神経な言葉を放ってくるので実家でリフレッシュすることも叶わなかった。
連休中に友達に会って、辞める相談をしたりもした。家族も含めみんな仕事を辞めることに反対する人はほぼいなかった。
みんな愚痴をきいてくれたし、優しい言葉をかけてくれた。もちろんとても有難かったけど、もうそれだけでは救われなかった。優しい言葉をかけられている最中、わたしの脳裏には「助からない」「誰も助けてくれない」という言葉が常にぐるぐるしていた。
連休は一瞬で終わった。
連休最終日の夜、友達と別れ電車に乗る。明日からまた仕事だ。どうしても仕事に行きたくない。どうしたらいいのか。
気がついたら一心不乱に大怪我する方法をググっていた。
死にたくはない。だけど仕事に行けなくなるくらいの大怪我をしなくてはいけない。wantではなくmustだった。
最寄駅に着いて、わたしは駅前の歩道橋から飛び降りることを決意した。
ググって出てきた体験談では、お酒を飲んで恐怖を曖昧にしてから飛んでいた。わたしも怖かったので、ストロングゼロを2缶買った。
一気に飲んだ。超マズかった。
そしたら、フラフラになって立ち上がれなくなった。飛び降りは失敗どころか未遂に終わった。
お酒に弱いわけではないが、ストロングゼロ2缶の一気飲みは日頃お酒を飲まないわたしを立てなくするのに十分だった。
朦朧としながら数時間、たまに起き上がって吐きながら駅前で寝そべっていた。
顔がゲロでベタベタしたまま、駅からぞろぞろ出てくる仕事帰りの行列を何度も見送る。
通行人に大丈夫?と1回だけ聴かれた。すごい覗き込んでくる外国人とかいて怖かった。でもそこから動けなかった。
こんなときでもわたしの脳裏には、痩せててかわいかったら少しはこんなところも画になるのにな、とかそんなことばっかり浮かんでいた。
結局日付が変わる頃に自力で家に帰って、そのままベッドに倒れ込んだ。
とりあえず、明日の仕事は休もう…とそれだけ決めて寝た。
覚えているものですね。
もう少しだけ続かせてください。