一戸建てが立ち並ぶ、駅から自宅までの帰り道。
そのうちの一軒に住んでいるのがデマドという猫だ。
デマドというのはわたしが勝手につけた呼び名で、本当の名前は知らない。
いつも出窓のそばに座ってこちらを見ているからデマド。それだけである。
もう何年も通っていた道なのに、デマドの存在に気がついたのはここ最近のことだった。
デマドは恐らく雑種で、ふっくらとしたはちみつ色の猫だ。何才かわからないけど、かなり大きめ。
自転車を止めて側に寄ると、鳴き声をあげながら(窓越しでこちらには聞こえないけど)立ち上がり、しっぽを窓に擦り付けてくる。
立ち去ろうと再び自転車に乗ると、わざわざ出窓の端から端まで移動し見送ってくれる。
とにかくかわいい。
バイトの帰り道、デマドに会えるのが唯一の楽しみだった。
そのデマドがいなくなったのは2ヶ月ほど前だったと思う。
デマドは突然ぱったりと姿をみせなくなった。いつ見ても、どの時間にも出窓にその姿はない。
はじめは寂しい、くらいだったのが、1ヶ月も会えないと激しい不安に変わった。
もしかして、病気かなにかで…。
帰り道、祈るような気持ちでそこを通るようになったけど、デマドは変わらず現れなかった。
お家の人を見かけたら聞いてみようと思ったけど、都合よくお家の人と出くわすこともない。
デマドがどうしているのか、知る術はなかった。
昨日、心療内科へ行った。
新しく始めた派遣の仕事はまだ3日経っただけなのに、驚くほど順調に思えた。
カウンセリングでその旨を話すと、心理士さんはその変化を「まだ芽は出ていないけど、土の中で確かに動き始めてる、いい方に変わろうともがいてるみたいですね」と形容してくれた。
正直、そんな実感がなく、うまく受け止められなかった。
確かに今の精神状態はかなりいい。だけど、それが終わるときは突然で、あっけないのをもう知っている。
わたしの場合、いい精神状態にははっきりと要因がある。今で言えば、新しい仕事が始まり、順調なこと。そして薬が合っていることなどだろう。
だけど悪い精神状態には要因がない。
突然それはくる。わけもなくつらいときが絶対にくる。だって今までがそうだった。
調子がいいならただ、調子がいいでいいじゃないか。それができないんだよな。
帰り道、そんなことを考えていた。
そして何気なく、習慣で出窓に目をやった。
「あっ」
思わず声が出た。はちみつ色の塊が見える。
側に行くと、デマドがいた。
2ヶ月ぶりに、デマドに会えた。
デマドは変わらずふっくらしていて、鳴きながら頭や尻尾を窓に擦り寄せる。元気だった。
思わず涙が出てきてしまった。
もう会えないかと思った。
そしてそのとき、わたしは本当に不思議と、しかし自然に、悟りを得たような感覚を覚えた。
これはもう、悟りを得たとしか書きようがない。閃き?インスピレーション?開き直りかもしれない。
とにかく、どこか吹っ切れたような、そんな気分になった。
とりあえず、調子がいいうちはそのまま鼻歌でも歌ったり、ねこを揉んだりしていたい。
悪くなったら、悪いなりにTwitterしたり、泣いたり、家出したり、わたしなりの行動はたくさんやってきた。それをまたやってもいいしやらなくてもいい。
なんでもいいや。というのが今の気持ちです。