偏見が得意だ。
褒められたものではないのはわかっているけど、他人をすぐに「〇〇そう」「〇〇っぽい」とカテゴライズしてしまう癖がついている。
とりわけよく感じるのは、テレビに映る芸能人に対しての「この人、くさそう」である。他人に理解されたことはあまりない。
テレビ越しにみているのだから、勿論実際の匂いがわかるわけではないのに脳が勝手にそう判断する。我ながら本当に失礼な話だ。
タバコくさそう、加齢臭がしそう、すごくキツイ香水つけてそう、汗かいたら超においそう、などなど。
また、バリエーションとして「この人、くさい匂いをかいでそう」というのがある。これはもっと理解されない。
表情や雰囲気から、なんとなくくさい匂いをかいでそうな感じがしてしまう。
ハリー・ポッターの何巻かに、「まるでクソを鼻にぶら下げているような顔」という文章があったけどそんな感じ。
反対に「いい匂いがしそう」というのもある。柔軟剤とか、お香のような匂いがしそう、みたいな。だけど圧倒的に少ない。
そもそもわたしのカテゴライズはネガティブなものばかりだ。
「この人、もし財布落ちてたら絶対拾ってお札だけ抜きそう」
「この人、女の人殴ってそう」
「この人、飲食店で店員にタメ口ききそう」
ひどい想像ばかりしてしまう。違ったら本当に申し訳ない。
これらの偏見を生成するのは、その人の外見や挙動ももちろんある。しかし、それより強く影響するのはその人から滲む「なにか」である。
それが何なのか、よくわからない。平たく言えば、「雰囲気」なのだと思う。あるいは時に「徳」や「業」と呼ばれるものだろうか。
ほとんどの人間には意図せずに滲んでいるものがあると思う。「意図せずに」なので、ふだんその人が身に着けている自尊自認や見栄とは違うものが滲んでいることが多い気がする。
また、偏見を生成するのは他ならぬわたし自身の価値観が強く作用していることも忘れてはいけない。
わたしが「くさそう」と思った人も、他の誰かから見たら「お年寄りに席を譲ってあげそう」な人になるかもしれないのだ。
そして、わたしからも当然なにかが滲んでしまっているのだろう。
絶対に、確実に、ポジティブなものが滲んでいるとは思えない。
願わくば、電車で向かいに座った、ただそれだけの人に「いい匂いがしそう」と思われたい。
一人で知らない人に囲まれているとこんなことばかり考えている。偏見女は空想も得意なので。