どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

物語にいなくていい人

変身願望が過ぎるなと思った。変身願望。あるいは、空想すること。

わたしは今、26才である。

自分自身と折り合いをつけ、短所も認めたうえでうまくつきあっていく。もし自分でない何かになりたいのであれば実際に行動する。多くの人たちはそうやって現実のなか、社会生活を送っていることと思う。わたしはなぜか、いつまでもそのステージへ移行できていないままだ。

 

ハリー・ポッターがとても好きである。

 

子どもの頃は新刊の発売を待つうちに読まなくなってしまったが、大人になって全巻を揃えた。

一度読み始めると生活のすべてに対してハリー・ポッターを読むことが優先されるため注意が要る。

一方周りの人たちは映画を途中までみた、とか原作を読んだことない、とかそのくらいである。これにはすごく驚いた。

みんな、ホグワーツからの手紙を待っていない。自分の杖がどんなだとか、O.W.L.を受けるなら何点とれそうか、どの科目を履修するか、ホグワーツを卒業して将来どんな職業につくのか、死因は魔法か、そんなことは考えていない。

子どもの頃は、どちらかといえばハリーや周囲の人物に感情移入をして純粋にストーリーを楽しんでいたと思う。

年をとって、現実で社会や生活について考えるようになったのと同じように、魔法界の社会や生活について考えるようになった。現実の社会や生活について考えることは苦しい。希望がない。ああ、魔法界に行きたい。

 

以前も少し書いたが、なりたいもの・なりたかったものは本当にたくさんある。

二次元のキャラクター、少年少女、おじさん、天才、職人、あるいは普通の人。

今も他人を見ればその人のどこかしらが羨ましくなる。

かわいい・かっこいい人はもちろんのこと、美醜に関わらず、髪・肌の感じや表情、服の着こなし、鞄に着けているキーホルダーなど、共通するのはどこかキャラクターを感じさせる人。

このキャラクターというのは、つまり物語を生きていそうな人。存在を許されていそうな人。どんな形であれ、自分の人生が物語として成立している人。

羨ましがったあと、想像はその見ず知らずの人の人生にまで到達する。

 

このような空想はもちろんなんの利益も生まず、なんの意味も為さない。現実逃避という他ないのだろう。

しかし、逃避できるほど現実は簡単ではなく、むしろ年をとればとるほど、空想のすぐ裏側に現実が待機をしている。

たとえば魔法界で暮らす想像にも、最近では現実が作用しはじめている。

ハリー・ポッターには書かれていない。例えば学校を中退した人。友達がいない人。就職できなかった人。物語がなく、物語には不要な人。いなくていい人。

わたしが魔法界の人間になれたとしても、ハリー・ポッターに書かれる人にはなれないと今は思う。

現実逃避のために26才のわたしがする空想には、いつでもどこでも現実がくっついている。

 

空想はどんどん歪んでいる。

現実から目を逸らせてくれるはずの、偽物でもそこにあったはずの希望はなくなり、いつの間にかひどくいびつになり、今ではたまにわたし自身を苦しめる。

歪みつづける空想を止めるには、現実でその手立てを探さなくてはいけないのだろう。

そうわかってはいながらも、今日もまた、カフェオレを飲んでTwitterをみて、ごみ捨てに行ってコンビニでアイスを買って、テレビをみていたら一日は終わる。