どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

寛解期には気をつけろ

春なのになかなか日光を浴びてぽかぽかすることができず歯がゆい。

最近ねこがいつにもましてわたしに撫でて揉んでとすり寄ってきてかわいい。

暖かくなったらジムにまた行こうと思っていたのにこんな世の中の雰囲気に流されてまだ行けておらず、行けてないまま会費はもうずっと払い続けている。とほほ。(とほほじゃない)

左目の涙袋がかすかに腫れているのが3週間くらい治らない。だけど痛みはないし涙袋がかなり小さい人間なのでかえって涙袋が大きくなっていいのでは?とほっといている。歯の矯正が落ち着いた今、二重整形に心が向きつつある。しないとは思うけど、たまにそういう記事やクリニックのHPを見たりする。

近ごろこんな感じで日々生活してます。

 

久々に精神に関するブログを書きます。

というのも、過去に切れてしまった縁について最近たまに考える。春だからかな。

親しくしていた人と疎遠になることは幾度となくあった。その原因ははっきりしなかったり、わたしの不用意な言動のせいかもしれないと思うものもある。

そんななかで思い返す直近の後悔、懺悔です。

 

抑うつで休職からの退職&通院していた頃、仲が良かった二人ほどと縁が切れた(と思う)。 

繋ごうと思えばまた繋げる縁かもしれないけど、今のところそういう気持ちにはなれないし向こうもそうだと思う。

二人はそれぞれ別のコミュニティに属する友人だったけど、休職期間中に連絡をくれたり会ったりしてくれた、優しい人たちだ。

休職直後、精神のどん底にいたわたしはそうした友人たちと時たま連絡をとったり会って話をきいてもらったりした。でもなにしろ本人のなかではどん底なので、元気や気力に乏しく、他人へ自分のつらさを具体的に話したりすることはそこまでしなかったと思う。(記憶がおぼろげなのでしていたかも、していたら申し訳ない)

 

バイトをはじめたり、通院を続ける中で少しずつどん底から抜け出した。生きることへのつらさ苦しさみたいなものは依然として感じていたけど、それが生活へ支障をきたすことはなくなって今までどおりの生活が戻ってきた。たぶん寛解期ってやつだと思う。

今思えばこの寛解期が厄介だった。

元気や気力は少しずつ回復したものの、休職のことは記憶に新しすぎるし、通院が日常となっていたのでそうした所謂「精神」のことばかりが脳みそにある。

そんな状態で友人と会うので、「精神」が口から出てしまう。友人たちが至って普通の世間話や正常な話(正常な話?)をするのに、わたしの口からは「精神」の話が出てくる。

あと、少しよくなってきた自覚があったからか、同じく生きづらさを抱えた友人に対して「経験者風」の、どこから目線なんだというアドバイスをしてしまったり。

寛解期はあくまで寛解であり全快ではないのがポイントで、当時のわたしはそうした話を他人にすることになんの疑問も覚えず、それを言われた側がどう思うかなんて考えなかった。寛解期というか、超頭でっかち期。

 

友人が、というか他人が面と向かって優しいのなんて当たり前だ。

その優しさはわたしを甘やかすためにあるわけではないし、わたしの全てを受け入れたり許したりするためにあるものではないということを肝に銘じたい。

あと、他人の気持ちに共感したりしたところであくまで「共感」であり理解ではない、完全な理解は不可能。(前も書いたかもしれないなこれ)

他人や自分以外のものごとに対して理解した「つもり」という姿勢を保てますように。