前回から結構間が空いてしまった。
ここ最近はぼんやりと暮らしています。
突発性難聴になったり胃腸炎になったりしたけど精神の具合は悪くない。
脳みそは相変わらずふわふわしているので、文章や短歌から遠ざかり気味でそれが少し悲しい。
二次元に感じる憧れ、羨ましさはブログやTwitterに何度か書いてきた。
とりわけ漫画に感じるものがあって、漫画の登場人物はずるいと思っていた。
だって、少し頬を染めてみたり、ハッと目を見開いたりすれば大体誰かがその様子に気づいてくれて、物語が進む。
モノローグや吹き出しのおかげで現実よりもスムーズに誤解なく自分の考えが他人に伝わる。
わたしは感情を表に出すのが下手なので、少し表情を変えればみんなに気づいてもらえる漫画の登場人物を羨んでいた。今考えたら言わずとも気持ちを他人に察してほしい、ってことですごく傲慢で引きました。
誰かに自分のことをわかってほしいという気持ちがやはりあったのだろう。
そしてこの間、そのような場面が訪れた。
ことの成り行きで、そう親しくはない他人にわたしのこれまでのことを話した。
鬱屈とした学生時代、25才で挫折し通院中であること。
話し終えると相手はこう言った。
「うん、初めて会ったときからわかってた」
???
となった。
繰り返すが、相手とはそう親しい間柄ではなく、数回会っただけの友人未満のような関係である。
その人は心理学を学んだ経験があり、曰く、他人の仕草や服装、言動で大体の来歴がわかるということだった。
いやまあ、正直めちゃ胡散臭い。というのはちょっと置いておいて。
わかってた、と言われたとき、まるで漫画の台詞みたいだなと思った。実際ありますよね?こういう台詞。
相手の言うことを鵜呑みにすれば、相手はわたしの話す様子や目線、アクセサリーや手の動きでわたしのことを察したということになる。ちょっと違うかもしれないけど、わたしが漫画の登場人物に対して羨んでいたことはこれじゃないのか。
ところが実際言われてみると、疑念半分、恐怖半分、という気持ちになった。
(あと、お前にわたしのなにがわかるんだよ、というこれまた台詞めいた感情…)
気を許していない人間に言われたということが大きいとは思う。
けどやっぱり、多分どれだけ親しい人に言われてもわたしは捻くれた受け取り方をするだろう。
どれだけ言葉を使っても完全な相互理解はできないのに、言葉なしで誤解なく理解できるわけがない。
わたしには誰かにわかってほしい、という気持ちと同じくらい誰かを理解したい、という気持ちがあるけど、どれだけその人の話をきいて理解したつもりになっても、所詮「理解したつもり」であることを忘れずにいたいなーと思った。
やっぱり現実って二次元とは違うんだなあと気がついた、2019年11月の出来事です。