呼ばれて飛び出る係やります
春になるとおかしい人が増えるから気をつけるように、と接客業をしているときよく言われた。
わたしは多分おかしくなっていないけど、うららかな陽気を浴びていつもより多少のびのびとした気持ちで生活している。
この間の通院では先生に相談してみようと思っていた夢の話をしわすれた。ちなみに今日みた夢はかなりめずらしくいい夢で、昔働いていた職場のなかでも好きだった人たちが現れ、昔のように一緒に働く夢。
いい夢だったはずなのに、起きてからその夢を思い出しているうちに寂しくてしょうがなくなった。
近ごろ周りの人たちが調子を崩している。
久しぶりに会った職場の先輩だった人が現在は休職していると聞いたのもついこの間のことだ。
その人(以下、先輩)と知り合ってからもう7年くらいになるだろうか。
先輩はわたしがそこでバイトを始める前からずっと働いていて、いくつかの店舗を経て今はそれなりの地位にいる。
先輩のような人を「カリスマ」と呼ぶのかなと思っている。自分のことをあまり喋らないのになぜかみんなのことをよく知っていて、みんなに慕われていた。(わたしも勿論そのうちの一人)とにかくなにをしても嫌な感じがしないけど、「善人」ともまた違うような不思議な人だ。
なぜか、先輩には自分のことを話してみたくなる。そういう風に相談したり話を聞いてもらったのは一度や二度ではないし、わたしの他にも同じような人がたくさんいるのだと思う。
その先輩が心の具合を悪くして休職に至ったと聞いたとき、かなりの衝撃を受けた。本人の口から職場や精神に関する言葉を聞くことはなかったし、隣で見ているぶんにはいつもと変わらず、先輩がなにを思っているのかわからなかった。
そういう人たちに対して、何の言葉もかけられない自分にとまどう。
恩返し、というわけではないけど、いつも助けられている側のわたしが得意(?)とする精神的分野においてなにかかけてあげられる言葉や、してあげられることはないのかと思った。
ただ、同時にそんなのは思い上がりとも思う。
わたしが精神科に駆け込むに至るまで、色んな人から色んな言葉をかけてもらった。もちろんその気持ちはありがたいけど、当時のわたしにはなんの意味もない言葉だったのだ。
色んな言葉をかけてもらったさなかで「助からない、誰も助けてくれない」と思ったことは忘れられない。
結局こういうときに他人にできることはほとんどないんだと思う。もちろん心の具合は人それぞれだから、みんながわたしとは違うのもわかっているけど。
他人のためと思って言葉を考えるのはむずかしいしできっこないのであまりやりたくない。
あるときにおいて言葉はとても怖いものだから、とりあえずそんな手に負えないものは置いといて、身軽にしとこうと思う。
呼ばれたらすぐにどこか行けるように。まあそんなことはないんですけどね。