月一の心療内科通院のあと、ブログを書くことが習慣化しつつある。
この間はてなブログから「ブログを開設してから半年経ちました」というお知らせが来て、三日坊主とならずブログを継続できていることに我ながら感心した。
ブログをはじめるきっかけとなった休職〜退職の話や、わたしが長らく抱えていたモヤモヤ(かわいいの話や、ブラジャーの話など)はあらかた書いてしまったので、更新ペースは緩やかになっていくことと思う。
だけどやっぱり文章を書くのは好きなので、なるべく続けていきたいな〜と思っています。読んでくれている人、ありがたいです。
前回の通院で「仕事がはじまり、めっちゃ調子いいです」と言った手前、その後のこと(Twitterに書き散らしていますが、職場の人間関係で躓いてしまったこと)をお医者さんと心理士さんに話すのは恥ずかしかったし情けなかった。
しかし他に話題に挙げるようなこともないので話すしかない。話してみると、やはり「あるある感」というか、よくある話という感じが自分の中で拭い去れず、「こんなことをカウンセリングの場で言ってしまって恥ずかしい」みたいな気持ちでいっぱいになってしまった。
じゃあカウンセリングの場にふさわしい話ってなに?と考えれば、わたしはもっと自分の中の希死念慮や、自尊感情のなさなど根本の部分をさらけ出さなきゃいけないような気がしている。
このあたり、恐らくわたしはまだ病院やカウンセリングに夢をみているのだろう。
逆に、カウンセリングの場にふさわしくない(とわたしが思ってしまった)悩みや話はどうすればいいのか。みんなどうしているのだろう。
そこでわたしは、タイムラインで見かけた「人と会話していてカウンセラーにさせられた」というツイートを思い出した。
思い出したというか、そのツイートを見てから、その言葉は頭の隅にずっと残っていた。
たまに会ってくれる何人かの友人たちと話すと、近頃落ち込むことが多くなった。
自己嫌悪だ。
みんな仕事の話や、昔の思い出話など楽しい話をしてくれる。一方のわたしは、特段話せる楽しい話など持ち合わせておらず、話題を振られるとどうしても今の悩みとか、ネガティブな話を発信してしまう。
聞かされる方の迷惑を考えると本当に申し訳ないし、わたしだけがいつまでも卑屈に停滞しているのは情けなかった。いつ見捨てられるのか、嫌われるのかという不安も募る。
そんなとき、上のツイートを見てドキリとした。これだ。
わたしは友人をカウンセラーにしてしまうかもしれない(あるいはすでにしてしまっている)ことが不安で心配でしょうがなかった。
なにが言いたいかというと、ならば有料のカウンセリングでこそ、「こんなこと」と思ってしまうような悩みを話したほうがいいのではないかということだ。
心理士さんはなんでも話していいですよ、と言っていることだし、友人をカウンセラーにさせてしまうよりはお互いにずっといいはずだ。
そう開き直ると、なんだかカウンセリングに対していい意味で気が抜けた。自分にとってのカウンセリングの位置づけがいい感じにできたような気がする。
そうしてすべて解決したような気になったけど、友人と会っても話題がないのは変わらずである。
そもそもこの、「友人に楽しい、おもしろい話を提供せねば」という意識が問題である気もする。みなさんはこのへん、どう思ってますか…。