どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

呪いを解く作業

この間、友人と遊んだ。

その友人とは3年くらいの付き合いになるが、かなり仲がいい。わたしの休職期間も含めて連絡をとったり会ったりし続けている。

こういう友人がいること自体とても幸運なことだと思うのだけど、それでも話せないことや、ときには振られたら黙ってしまうような話題はあった。

しかし先日わたしたちは、ブラジャーの話で盛り上がった。

友人が何となく発したブラジャーの紐が見えてしまう問題を発端として、ブラジャーだのおっぱいだのニップレスだの、昼間のサンマルクカフェでする話としてはとても品がない話題で盛り上がってしまった。

(言い訳をさせてほしいのですが、お酒の場でのギャハハみたいなノリではなく至って真剣なトーンで、です…)

話しながらわたしは自分にびっくりしていた。

自分がブラジャーに関する話題を、インターネットの匿名状態でなく生身の人間状態で、見知った人間とできるなんて。

 

恐らく、ブログを書いたことが変化を呼んだのだと思う。

phaさんがweb上のコラムで、「文章を書くことで自分の中の何かを終わらせる、整理をつける」みたいなことを書いていて、おそらくわたしにとっての「書くこと」もそのように作用している。

長年のモヤモヤや傷を文章化・言語化したことで、収まるところに収まったというか、自分の中での位置づけがはっきりとしたような感じで、以前より怖さや不安がなくなった。

昔の自分や他人にかけられた呪いが段々と解けていくのを感じる。

もちろん解けない呪いもあるし、そもそも全てを書いているわけではないけど。

 

年上の人が言っている「年をとったら丸くなる」とか「年とともに生きるのが楽になる」とかいうのはこういう感覚なのかなあと思う。

昔のわたしが同じようにブログを書いても恐らくまだ罪の意識や被害者意識でいっぱいだと思うので。

年とると楽になる説本当だったのか、という気持ちと、いや、ただ年とるだけじゃだめじゃん、年とった(時間が経過した)上で何かアクション起こさなきゃいけないんじゃん、そこもっと詳しく言っといてよ〜、っていう気持ちです。