どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

大学生喪女だったわたしは今も喪女

4月末からTwitter、ブログに加えてEvernoteで日記もつけはじめた。

なにをどれに書こうかな、とかたまに迷ったりするけど自分の中でざっくりとカテゴリが決まっている。

 

喪女という言葉を初めて聞いたのは大学生のころだった。当時はまだ2chを見ていた。

ちょうどTwitterも知った頃で、わたしは喪女アカウントをつくりTwitterを初めて、フォローやフォロワーは同じく喪女の人ばかりだった(もう7年くらい同じアカウントを動かしているので、最近はそうでもない)。

2chの喪女板はスレにもよるけど性質上荒れることが多い一方で、Twitterは基本的に落ち着いている。2chと違って半匿名だから、ちゃんと個人がそこにいるのがわかる。もちろん色んな人たちがいるけど、その中でも気が合うなと勝手に感じた人をフォローする。交流せずともなんとなくタイムラインの居心地はいい。

 

よく「学生のうちは喪女を名乗るな」という声があがる。これは2chでもTwitterでもそうだ。

わたしはそうは思わない。何よりわたしが大学生の頃から喪女を名乗ってきたからだ。

学生のうちは喪女を名乗るなという人の気持ちは理解できる。まだ成人に満たないような年齢のうちは、モテないとかでなく本当にただ機会に恵まれなかっただけという人も多いのだろう。

わたしの場合はそれに当てはまらない。28才になった現在も変わらず喪女であることがなによりの証明なのだけど、大学生当時から薄々と、しかししっかりとそれを感じていた気がする。

大学はとてもつらかった。

大学デビューに失敗、はしゃいで入った軽音サークルは1年でやめた。学びたいことなんてなく、友だちを作る勇気やコミュニケーション能力もない。この限られたモラトリアムを有意義に使わなくては、という罪悪感に苛まれ、なのに怠惰でなにもしない。キャンパスを歩けば男女の笑い声がする。女の人を格付けしたり、外見で明らかに態度を変えるような男の人を大学でたくさん見た。キャンパスの中は彼氏彼女の有無、モテるモテない、そういうことが様々な場面で大きな意味を占める、異質な世界だったように感じる。

そんななかで数少ない安息の地が自分のTLだった。

喪女というきっかけがなければわたしはたぶん中途半端なリアアカをつくり、知り合いとのコミュニケーションにやきもきし、最悪のTwitter人生を送っていた気がする。

 

長い時間が経ってTLも少し変わった。

つぶやかなくなった人はたくさんいるし、なんか違うなと思って(思われて)フォローを外した人もいる。でも変わらない人もいる。

前述したようにわたしは現在も喪女だし、恋愛については消極的だ。恋人という存在に憧れもするし一緒にいて幸せになれる関係の人間がほしいとは常に思っている。でも自分から動こうというエネルギーはあまりないし、半ば諦めてもいる。

そういうわたしに、わたしがつくったTLはやさしい。

何が言いたいかというと、わたしみたいな人がいたとして、喪女は大学生を名乗るなっていう声によって門扉を閉じられてしまうのはちょっと悲しいなと思う。(これ、何様目線なんだろう)

まあいろんな人がいるからね。

他人に対して必要以上に怒らず妬まず期待せず喜ばずやっていきたいなと思います。