年が明けたけど、前回のブログから様子は変わっておらず、「ステータス:のろい」みたいな状態がずっと続いている。
日々、調子が出ないなあと思うけど、調子ってなんだっけとも思う。
心身のダルさに直接関係しているかはわからないけど、呪いを受けた心当たりがひとつある。
12月のはじめだったか、アニメ「ピンポン」を観た。初見だった。
これまで原作や映画も通ってこなくて、予備知識なく突然観た。
とても、すごくおもしろかったんだけど、純粋にまた観たいと思うことができない。
原作者、監督をはじめ様々な人間が奇跡のような縁で出会い、奇跡のようなタイミングで携わってできた作品だと思う。そのひとつひとつが本当にすごいし感謝…、と思う反面で、「ピンポン」はわたしの「ものづくりびとコンプレックス」を容赦なく的確に刺激した。
前にも書いたけど、わたしには夢、なりたいものがたくさんあった。
漫画家、アニメーター、小説家、ライター、料理人、パン職人など。
それらに向けて本気で努力してみたことは多分ない。でもずっと憧れはあって、それはいつまで経っても消えずに、色んな感情や現実が混ざって捻れて、気がつけば嫉妬、コンプレックスみたいな汚らしいものになっている。
才能を活かしている人を見るたび、自分はあちら側の人間でないのだと思う。
なにかを創り出す人にはなれなかった、自分はそれを受け取る側だ。
それをいい加減認めて、純粋に観客として受け手として楽しみたいのに、それができない。
自分はどうしてあっち側に行けなかったのだろう、あっち側の人は自分にはないどんな人生を歩んできたのだろう、そんなどうしようもないことばかり考えてしまう。
そして最近思うのは、才能がない人はどうやってそれを認め、切り替えていくのだろうかということ。
なにかを志したり憧れて、でもみんながそれを叶えるわけじゃない。むしろ叶わないことのほうが多いはずだ。
そのとき人間は、それまでの自分と、あっち側の世界とどうやって折り合いをつけて生活していくのだろう。
創作物を純粋に楽しむこと、を今年の抱負にしたいくらいですが、本当にやり方がわからない。
もしもあっち側を諦めた人がいたら、話を聞かせてくれると嬉しいです。