どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

冬の逃亡

Googleが「2年前の今日の思い出をふりかえりましょう」と唐突に通知を寄こす。なんの気なしに見てみると、雪景色の写真がまとめてあった。

2年前、金沢に行ったときの写真だ。

旅行ではない。始めたばかりの仕事に数日で行けなくなって、逃げた先が金沢だった。

久しぶりに思い出したので記録として書こうと思います。

 

休職を続けたのちに正式にパン屋を退職し、実家へ戻り、すべてが一段落したのはたしか大晦日の直前だったと思う。

通院以外はほぼ寝たきり、そういう一日が積み重なって二ヶ月ほど経つと、僅かだった貯金が底をつきた。途端に焦りを原料とした「働かねば」という気力が爆発的に湧いてきて、そこから一気に退職、一人暮らしからの撤収、次の仕事の面接などを並行して行なった。

休職中はあらゆる気力がなく、寝ているだけで気分はどんどん落ち込んだ。しかしその反動か、数週間で一気にたくさんのことをこなしているうちに「あれ?結構元気になってきたんじゃ?」と思うくらいになっていた。 

 

これまでのような接客業に戻るエネルギーはなく、ここらで世にいう「デスクワーク」というのを経験しておくか、という気持ちになったわたしは派遣会社の説明会へ行き、ストンと派遣先を決めた。

わたしの希望職は事務だったけど、そこは営業事務というか、法人相手のコールセンターのような感じだった。男女比が8対2くらいの割合で、同年代はほぼいない。作業着やスーツを着た年上の人たちが、イヤホンとマイクで電話をしながらパソコンに向かっていた。

業務内容の説明を聞いたり、ファイリングなどの雑用を任されたり、大したことをやらないまま3日ほど働き、年末年始の休暇に入った。

 

そして仕事始めの日、わたしは職場に行く電車に乗ることができなかった。

朝から心臓が、頭が、全身がギュウギュウとして破裂しそうだった。母が作ってくれたお弁当を持ち、行ってきますと家を出たけど、駅までの道で何度か立ち止まってしまった。

あ、無理だ。と思う。

パン屋を休んだときのことが頭にちらつく。あのときも連休明けだったなと思う。仕事に行きたくない、どうすれば行かなくて済むか?

そういえば職場の連絡先もまだ知らない。とりあえず派遣の営業さんにメールで体調不良と嘘をつく。

すると途端に営業さんから電話が来て、怖くなる。電話に出ることができず、その場から動くこともできずにしばらくそのまま駅で人混みを見送った。

 

もう行けない。

 

休みの連絡を入れた時点で、ほぼ心が決まってしまっていた。もう仕事に行かないと決めると、僅かな安心と、大変なことをしてしまったという重苦しい気持ちが波みたいに押し寄せる。

 

家にも帰れなかった。

家族に会いたくない。母になんて言えばいいか困ったし、なんと言われるか想像すると頭がおかしくなりそうだった。

とりあえず朝からやっているカラオケに入って時間を潰して、そのあと都内をぶらぶらした。買い物する気にもなれず、どこにも行き場がなかった。

夜はホテルに泊まった。母に「仕事行くのやめた。今日は帰らない」と連絡すると、「そうですか。どこにいるの?」みたいな返信が来たけど、返信したかは覚えていない。

夜になると冷静になってくる。

こんなふうに逃げても、結局最後は帰ることしかわたしにはできない。

でもどうしても帰りたくない。みんなに存在を忘れられたい。

よく言う、どこか遠いところへ行きたい、誰もわたしを知らないところへ…みたいなやつの気持ちが初めてわかった。

 

次の日、初めて金沢へと上陸した。金沢には行ったことがなくて、なんとなく決めた。

金沢での思い出はあまりない。なぜならその日はニュースが騒ぐほど大荒れの天気で、年始明けということもありお店がほぼ休業してしまっていた。

吹雪の中しばらく歩き回ってみたけど、市場でおいしいお寿司を食べたほかにほぼ収穫はなく、最終的には駅のそばにあるアパホテル併設の公衆浴場へかけこんだ。暖かかったです、ありがとうアパホテル

そして夜行バスで帰ろうとしたら、雪でバスが埋まってしまい一晩動かなかった。バスの中で乾パンが配られて、なんだか現実味がなかった。

吹雪で、乾パンで、なんだか現実味がない。わたしが仕事に行けなくなってバックレてしまったことも、同じように現実味を感じなかった。

朝になっても結局状況がほぼ変わらなくて、やっと富山駅まで着くとバスから降ろされた。おかげで北陸新幹線、乗れてよかったな。バスと違って座席が広くて疲れない。

 

仕事に行けなくなった原因みたいのは、今思えばいくつか考えることができる。

指定の服装(オフィスカジュアル)を着るということが思った以上に苦痛だった。

職場に偉い人(肩書に長がつく人)が何人かいたが、みんな絵に描いたような「おじさん」だった。みんなビール腹だったり頭が薄かったりして、寒いおやじギャグや、「アナタまだ若いもんねえ」を一日に何回も聞いた。父親のいないわたしには、このようなおじさんと接するのはほぼ初めてのことだった。

でも環境がどうとか以前に、元気になったつもりが全然まだ回復途中だったんだなとも今なら思える。

復職してすぐまた休職、って人はたくさんいると思うけど、自分もまたその一人だった。

 

今年の冬は母、姉と旅行に行った。

家族旅行は子どものとき以来だった気がする。あんな冬もあればこんな冬もある。

今のわたしは頭すっからかんで薬に頼って生きてるけど、あのときよりは現実味がある気がしている。