どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

変化に揉まれ中

前回のブログを書いた次の日に、正社員としての仕事がはじまった。

前回のわたしは空っぽだなーとか言ってたけど、しゃらくせえ。即パンパンです。不安と緊張で満杯の日々である。

常に緊張状態で、お腹が壊れっぱなし。睡眠時間が少し短くなった。

通勤時のBGMにはかなり気を遣う。どの曲のどの部分で気が滅入ったり、急かされてる気分になったり、ネガティブな感情移入で泣きそうになったりするかわからないからだ。

仕事中は些細なことをいつまでも考える。あれは誰に聞けばいいんだろう。誰かの会話でわたしの名前が出るのが聞こえたら、手元の仕事に手がつかない。服装について「社会人としてふさわしい服装」とかいうあいまいな規定のみが存在するこの会社で、怒られるのが怖くて以前より着る服に気を遣ってしまう。

 

こんなにストレス耐性がなかったっけ、と思う。変化に弱すぎる。

実際かなり恵まれているほうだと思うし、周りにもそう言われる。このストレスは勝手に背負っているだけで、勝手に脳みそをパンパンにしているのはわたしである。

バイトを転々とするフリーターだったんだから、環境の変化には慣れていてもいいはずなのに。いつまで経っても無理だ。

今の職場も転勤があるので、ここにずっといられるわけではない。

繰り返し、こんなのがずっと続いていくんだろうなあ。

 

仕事が大変ですアピールをしたくてこれを書いているわけではない。

前回、空っぽだなーの顛末が記録されていなかったことを教訓とし、現在こうなっていることを記録して次に同じ目にあったときに読み返したいのだ。

なので肝心なのは次だ。職場に適応し慣れてきたときにそれを書くことを忘れずに。(戒め)

次、に進めるのはいつだろう。

それはそれとしてやっていく

ひと月ぶりのブログ。

最近また、空っぽだな〜というか、暇だわ〜と思うことが多い気がする。

前にも同じことを書いた気がして遡ってみたら、ちょうど一年前にわたしは空っぽだったらしい。その後空っぽが埋まったのか、そのまま過ごして今に至るのか、なにも覚えていないしブログにも書いてない。参考にならないブログだこと。

 

なに書こうとしたんだっけ。

そういえば、今更ながらHSPと自分について考えた。

HSPがインターネットを中心に広まっていくのを見ていると、ADHDがそうなったときのことを思い出す。

今考えれば「ブーム」とも呼べるような拡散の仕方で、でも当時のわたしは「わあ、自分じゃん」とそれに乗っかった。診断を受けた結果は限りなく黒に近いグレーみたいな感じで、まあ社会生活に支障は来してないので薬とかは大丈夫でしょって感じ。そっかあ、と納得をし、わたしのなかでの「ブーム」は終わった。

ADHDの方、治療中の方をどうこう言うわけでなくあくまでわたしの話です)

改めて考えれば、わたしはADHDの治療を受けたいわけではなかった。ただ診断されることでそこに属し、安心したかったのだ。

そしてHSPの特徴を読んでも、当てはまるところが多いなあと思う。

聴覚過敏、嗅覚過敏なところがあるし、他人への感情移入の仕方がエグい。最近映画や小説から遠ざかっているのは入り込みすぎて疲労してしまうという理由が大きい。

ではわたしはHSPなのか?それはもうどっちでもいいな、と今は思う。

なにかに属することの安心、が以前ほど魅力的でなくなったような気がする。なんでだろう。単純に、今の生活が前よりつらくないからかもしれない。

それはそれとしてわたしのHSP的要素はたまにわたしを不便にさせ、快適でなくさせる。でも社会生活に支障を来すほどではないし、それはそれとしてやっていく。

 

休日、家でぼーっとしてるとき、Amazon孤独のグルメをずーーーっと再生している。心に不要な波風が立たない番組はありがたい。

ダサくないわたしなんて想像がつかない

この間獲得した自信は、日常にまぎれてしまえば特に効能を発揮することもないようで、いつもどおり疑心暗鬼になったりして過ごしています。こんにちは。

こういったイレギュラーが発生すると、自分の変えがたい「性質」として「人とうまくやれない」があるのをつい忘れそうになる。忘れるな〜。

 

少し前、Twitterで話題のエッセイ漫画を読んだ。「どこにでもいそうなのにめちゃくちゃめんどくさい女をこんなにていねいに描いた漫画、初めてみた」みたいな感じでバズっていたと記憶している。

読んだら、これわたしじゃん…って強く思う部分がいくつかあり、違うなという部分もあったんだけど、かなり近いものを感じた。

理屈こねくりまわし人間というか、ああ言えばこう言う感じ。うるせーーーーーーー!って殴りたくなるあの感じ…。

まあ感想は落ちこんでくるのでこのへんにして。

 

あの漫画のなかで特にギクリとさせられた部分があって、主人公が初対面の男に「経理!ぽいわ〜」みたいに言われるところ。すごく心当たりがあったのだ。

経理!ぽいわ〜」は、言われた主人公からしたら「ダサいわ〜」と同義と思われる。わたしの仕事は経理ではないけど、同じふうに言われれば多分主人公と同じように受けとるだろう。

職業に貴賤はないしダサいダサくないもないはず。なのにわたしはいまだにある種の仕事を「カッコいい」と感じていて、自分はそうでないと思っている。別に今の仕事が嫌いなわけではない。

 

いつからか、なぜなのか気がつけば「ダサい」ということにすごく敏感になってしまった(たぶん、オタクであったことが関係していると思われる)。

容姿だけでなく、立ち振る舞いや考え方。とにかくダサく見られたくないという強いプライドのようなものがあり、時折すごく恥ずかしくなる。ダサくないわたしなんて想像がつかないのに。

そのへんにいるダサくない人たちって何を考えて生きて、人と会って言葉を発してるんだろう。ダサくない人がダサいときってあるのかな。

 

釈放と2つめの夢

2020年7月31日を釈放の日にしようと思う。

前回の記事をご参照頂きたいのですが、企業に応募して内定をもらった。

内定をもらった。口に出して言いたくなる。二十八歳です。

この内定をわたしが将来ダメにする可能性は大いにあるので、いやむしろその可能性のためにこれを書いているのかもしれない。

なにしろ内定をもらうというのは初めてのことだ。

そもそも就職活動をまともにしてきていない。それでも少しだけした応募はすべて祈られてきたし、パン屋の正社員採用については、あれはまた別の枠だと思う。

今日新聞をバサバサやってたら求人情報のチラシが目について、ああ、当面はこれを真剣に読んであれこれ考えなくてもすむのかと思った。これが安心かあ。

当面の安心。当面ってだけでも、ないよりはすごくいい。

 

安心のほかに、意外なものを得た。

今回は急な就職活動ではあったけど、振り返れば結構頑張った気がする。SPIとか面接対策とか。

その結果選んでもらえた、と思うと少し自信がわいてくる。自信。

頑張った結果の自信なんて、最後に手にしたのはいつだろう。自信とはシンプルに、気持ちに余裕をくれるものなのか。

この内定がダメになっても、いっときの釈放が終わってしまっても、今回獲得した自信は失くしたくないなと思う。貴重な自信なので。

 

25歳でパン屋の道を選んだのは、なにかをつくる職業に憧れがあったから。

でもそういえば、ブログにも書いたんだけど、わたしにはもう1つ夢があったんだった。

なにかをつくる職業と同じくらい、ふつうのOLに憧れがあるのだ。

(かといって、これからも絶対にオフィスカジュアルみたいな服は着たくないしふざけたマスクを着けて仕事をする。それは強く心に決めている)

気がつけばまた1つ夢に踏み入れようとしている。これからもいろんな夢を渡り歩いて暮らしていくのかもしれない。

仮釈放

日曜日。

これほど解放感につつまれた日曜日がかつてあっただろうか。解き放たれ、自由だ。

応募した会社のweb面接が昨日終わった。事前練習では問題なかった音声が乱れて困ったり、久しぶりにスーツを着てみたらぱつんぱつんになっていたり、落ち込むこともあったけどわたしは元気です。

今週中には結果の連絡がくる。落ちたらひどく落ち込むだろうし、受かっていたら最終選考に向けてひどく落ち込むだろう。どっちにしても巨大な憂鬱が待っていることはわかっているので、それが来るまではなるべく頭を空っぽにしてだらだらと過ごすことにした。

 

無意味に楽しい時間を過ごしたくて、朝からスパイダソリティアに勤しんだり、腕の中でスースー寝るねこを眺めたりした。

そのあと読めずにいた本を読んだ。読めずに積んでいた本を読むなんて、日々の忙しさに追われるまともなみんなみたいだなあとなんか嬉しくなる。

くどうれいん「うたうおばけ」と、図書館で借りた村田沙耶香「となりの脳世界」。どっちもおもしろくてすごいスピードで読み終えた。

エッセイがやっぱりすきだ。

日常の出来事や、日々感じたことが作者によってうまく拾われ、作品に昇華される。2冊ともまるでフィクションのようなおもしろさがあって、それでいてしっかり地に足がついた日常という感じもある。2冊の作者は二人とも世界の常識に疑問を感じた経験がある人、というのが伝わってきて、でもそのなかで腐らずにちゃんとがんばって生きているなあと思わせるところが、地に足がついていると思ったところ。

 

本を一気にたくさん読んだので、つられて(?)たくさん文章を書いてしまった。

あと何をしようかな。

最近アクリル絵の具で絵を描きたいっていう気持ちがずっとある。水彩でなく、透明度のないあのアクリルでベタベタとキャンバスを埋めたい。画材を買いに行こうか迷う。

迷わないでやればいいのだが、なぜ迷っているのかというと絵が下手だから。

絵が下手、という事実を突きつけられるのが嫌で想像だけで済ましている。こうして想像ばっかりが理想的につくりあげられて、ますます現実とのギャップが生まれる。

結果そのギャップに苦しむのは自分なのにな。

やっぱりわたしは理想が高すぎる。たまに他人にも言われる。どうしたら自分の身の丈を受け入れられるのだろう。

 

ふつうに日記を書いていたつもりがなぜかネガくなった。

でもこれもやりたかったことなのかもしれない。

仮釈放のつもりでこの5日間を過ごします。