それはそれとしてやっていく
ひと月ぶりのブログ。
最近また、空っぽだな〜というか、暇だわ〜と思うことが多い気がする。
前にも同じことを書いた気がして遡ってみたら、ちょうど一年前にわたしは空っぽだったらしい。その後空っぽが埋まったのか、そのまま過ごして今に至るのか、なにも覚えていないしブログにも書いてない。参考にならないブログだこと。
なに書こうとしたんだっけ。
そういえば、今更ながらHSPと自分について考えた。
HSPがインターネットを中心に広まっていくのを見ていると、ADHDがそうなったときのことを思い出す。
今考えれば「ブーム」とも呼べるような拡散の仕方で、でも当時のわたしは「わあ、自分じゃん」とそれに乗っかった。診断を受けた結果は限りなく黒に近いグレーみたいな感じで、まあ社会生活に支障は来してないので薬とかは大丈夫でしょって感じ。そっかあ、と納得をし、わたしのなかでの「ブーム」は終わった。
(ADHDの方、治療中の方をどうこう言うわけでなくあくまでわたしの話です)
改めて考えれば、わたしはADHDの治療を受けたいわけではなかった。ただ診断されることでそこに属し、安心したかったのだ。
そしてHSPの特徴を読んでも、当てはまるところが多いなあと思う。
聴覚過敏、嗅覚過敏なところがあるし、他人への感情移入の仕方がエグい。最近映画や小説から遠ざかっているのは入り込みすぎて疲労してしまうという理由が大きい。
ではわたしはHSPなのか?それはもうどっちでもいいな、と今は思う。
なにかに属することの安心、が以前ほど魅力的でなくなったような気がする。なんでだろう。単純に、今の生活が前よりつらくないからかもしれない。
それはそれとしてわたしのHSP的要素はたまにわたしを不便にさせ、快適でなくさせる。でも社会生活に支障を来すほどではないし、それはそれとしてやっていく。
休日、家でぼーっとしてるとき、Amazonで孤独のグルメをずーーーっと再生している。心に不要な波風が立たない番組はありがたい。