どうだ暗くなつたろう

twitterじゃ冗長すぎることとか書いても仕方ないけど書きたいことを書きます

目標は目標を立てないこと

2019年になっている。

なんの実感も感慨もない。と言っても、これまで年明けで実感や感慨を持ったこともない気がする。

とりあえず暇なので、(Twitterでも少しやったけど)新年らしく去年の振り返りと新年に向けたなんかを書こうと思います。

 

去年初めて精神科通院デビューを果たし、当時はそれこそ地獄の苦しみだったが、結果として現在は今まで生きてきた中で一番精神が安らかである。

自分のツイートを遡っていたら、ある時を境にパッタリと「つらい」系のものがなくなっていた。サインバルタを飲み始めてからだ。

これまで自分の感情の振れ幅?は元々世の中の人と違うなあと感じていた。感情ゲージを1-10とすると、喜怒哀楽の「喜楽」がmax3くらいまでしか感じられないのに対して「怒哀」は18くらいまで感じてしまうような。こと他人とコミュニケーションをとると、ゲージが壊れているのを実感していた。

今は、「喜楽」max3だとして、「怒哀」のゲージは「-」って感じ。本当に壊れてしまったのか、ほぼ機能していない気がする。しかし以前より心が楽なのは間違いない。

今一番不安なのは、いつか薬の効果がなくなってしまうことだ。少しでも長く、つらくない状態が続きますように。

 

新年早々薬漬け全開であることをアピールしてしまったけど、自分のなかでの変化もいくつかある。それを実感したのが最近なので、それすら薬のおかげかもしれないけどそれでもいいけど。

精神科通院やADHD検査を経て、「普通の人でない自分」をほんとうに自覚し、諦めがついた気がしている。

ちょっと前まで、自分を褒めることができなかった。「仕事行ったからえらい」「掃除したからえらい」みたいなことを自分に言い聞かせてみても「こんなの普通にみんなやっていることだしすごくもなんともない。別に頑張ってないし」みたいな罪悪感のようなものが頑なに否定する。

こう考える自分の基準・物差しは「普通の人」に合わせられていたのだろう。「普通の人」になりたい・なるべきの自分が自分を許さなかったし、認めもしなかった。

自分の中にとてつもない高いハードルを自分が作っていて、そこにいつもぶつかって傷ついていたような気がする。

その物差し・ハードルが下がった一年だったのかなあ。しんどかったので、そのための一年だったとかは思いたくないけど。

 

これまで目標を立てては失敗してきた。だから目標はなるべく立てないようにする。

なにも考えないで能天気に生活できるといいなと思う。今の自分ならそういう自分を許せる気がする。だって考えちゃうときは止めようとしても考えちゃうし。

目標立てないって言ったけどなんか目標っぽくなっちゃった。でもそれに対してなにか思うこともしないぞ。

ついでに言ってしまえば今年はジムに行くか楽器にチャレンジできるといいなと思います。できてもできなくても怒ったりがっかりしないでね。